常識にとらわれない100の講義 @ 森博嗣
時間が有り余る毎日。
社畜のように働いていた頃に羨んでいた生活のはずなのに、なぜか気分が乗らないのはなぜか。
おそらく、これが自分のやりたいことだ!という確信が持てずにただただ時間を浪費している感覚だから。
本当に、「幸せ」の気の持ちようったらありゃしないよね。
せっかくの人生の夏休み、興味のあることは手当たり次第やってみます。
ということで、
森博嗣先生の100のテーマによる短編エッセイ本を3冊、粗読みしたので紹介します。
常識にとらわれない100の講義
【印象に残ったテーマ】
‣ほとんどの人がその通りだと思う言葉には、商品価値はない。
商品価値とは少しズレるけど、正論が人の心に響かないことがそうだろうなと。
既知の事実であれば余計に。
まぁそうだようね、で流されてしまう。
公務員試験の教養論文も、正論ばかりでとにかくツマラナイ勉強だったな~。
気乗りしなかったおかげで雑な勉強になってしまい、本番の試験は割と散々な自己評価になりました…(笑)
ただ、知識として知っておくことは必ずしも悪いことではないのかな。
発想を広げるには、まずスタート地点に立たなくちゃだしね。
‣「道を見つける」とは、もっと簡単な言葉でいえば、「学ぶ」である。
なんでこんなことを勉強しなくてはならないのだ、という不満は学生時代あるあるだと思います。
私も、苦手な物理はとにかく苦痛だったし(いまもアレルギー)、受験科目にならない政治・経済は授業中に他の科目を復習していたり、本当に先生に申し訳ないことしたな~と今更反省しています。
「なぜ勉強しなければならないのか?」という疑問がある方は、
すでに有名だけど、ぜひ太宰治の「正義と微笑」を読んで欲しい。
森博嗣先生も「勉強の価値」という本があるので、そちらもぜひ。
勉強で覚えても無駄だと思う知識が、どこかで不意に活かせるタイミングがあったりなかったり。
例えば将来、専門的な資格を取りたいと思った時に、今まで無駄だと思っていた分野の知識が必要になったりね。
仮に役に立たなかったとしても、勉強で得たものは確実に自分の可能性を広げてくれます。
私は学生時代の頃から勉強が好きで、友達とそれで共感したことはあまりなかったけれど、好きだった理由は、孤独の時間が作れたからかな。
いま”孤独”と聞いてネガティブなイメージを持った方はぜひ、
森博嗣先生の「孤独の価値」を読んでみてください。
ちょっとカッコよく言ってみたけど、1人時間が好きなことが偶然、勉強へとベクトルが向いただけのことです(笑)
‣自分にはできないぞ、と思ったことでも、少しずつ周りから攻めていく。
もちろんどんな年齢でも必要な考え方だけど、
私は社会人になってからようやく、少しずつ、という思考ができるようになった気がする。
それまでは、完璧主義でとにかく理想を追い求めてた気がする。
見栄っ張りがすごかったなと、恥ずかしくなるくらい。
前職の上司からも、それはまるで陶芸家だと揶揄され、その通りだと何も言えなくなったことがあります。
経営学者でもあるハーバート・サイモンの限定合理性は社会人の基本。
‣時間をかけた者の方が無駄な副産物が多く、そのストックが将来活きる。
これは私の社会人経験の失敗を救ってくれるような言葉。
効率的に要領よく活躍する後輩の隣で、あれこれ考え非効率な仕事をし、結果も散々で体力的にも精神的にもしんどかった2年半。
組織に認められないのってまじできつい(笑)
最終的には馬鹿にされるレベルの出来事があり、さすがに私の許容範囲を超えたため退職を決意。
もちろん私にも非があったし、とにかく惨めだったけど、その時間は無駄ではなかったと胸を張れるようになりたい。
‣非常識な行動ではなく、常識を覆す理屈に価値がある。
何事も理屈。論理的思考。そして私の苦手分野。
いままで感覚で生きてきて、それなりにうまくいってしまったがために、今になって苦労していることの1つ。
共感力が高いことが長所でもあり、何事も疑わずに受け取ってしまう短所は表裏一体。
それでも、本当にそれでいいんだっけ?っていう、争いを生まない疑問は常に持つべき。
以上です!
話は変わって、明日はピロリン(彼)誕生日の前夜祭。
ワクワクが止まらない~~~っ